歴史に学ぶ

朝日新聞に次の記事がありましたので転載します。

 

『「ナチス、良いことも」に回答、反響 研究者がブックレット、1週間で3刷』

 第2次世界大戦の惨禍を招き、ユダヤ人を大量虐殺したナチス・ドイツ。でも、経済を立て直し、手厚い福祉政策を実現するなど、良いこともしたのではないか――。そんな「逆張り」の主張にナチスを専門とする2人の研究者が正面から向き合った1冊が、異例の反響を呼んでいる。

 7月に刊行された「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」(岩波書店)。120ページの平易なブックレットながら、各地の書店やネットでも品切れが続出した。刊行後1週間で3刷が決まり、岩波書店の担当者は「ブックレットがここまで話題になるのは珍しい」と驚く。

 著者は、東京外国語大学の小野寺拓也准教授(48)と甲南大学の田野大輔教授(53)。執筆のきっかけは、一昨年にさかのぼる。

 

 ■練ったタイトル

 田野さんが「30年研究しているが、ナチスの政策で肯定できるところはない」とツイッターでつぶやくと、アウトバーン建設やフォルクスワーゲンの開発など、ナチスのした「良いこと」だとするものを挙げて田野さんを批判する投稿が多数寄せられた。ただ、示されてくる事例は、専門家による研究ですでに否定されているものばかりだったという。「一般と専門家との間にある大きなギャップを埋める必要がある、と危機感を感じた」

 ナチスは、歴史学でもひときわ手厚く研究されているテーマ。第一線の研究成果をまとめた上で、問題意識を抱く一般の人たちにストレートに届くよう、タイトルを練った。

 8章からなる本では、「ナチスのおかげで経済は回復したか」「手厚い家族支援を行ったか」という個別の問いに答えていく。

 

 ■排除と一体の政策、恣意的な解釈に警鐘

 検証で浮かび上がるのは、ナチスの経済政策や福祉制度が、戦争を始めることが前提の過剰な軍需支出や、占領地からの収奪など、人々の犠牲の上に成り立っていたことだ。その一例が、空襲被災者への「援助」。戦火で家を焼け出されたドイツ人に、ナチスは住居や家具を提供した。それらは強制収容所へ移送したユダヤ人から奪ったものだったという。

 ナチスの政策から恩恵を受けられたのは、(1)「政治的」に信用でき、(2)「人種的」に問題がなく、(3)「遺伝的」に健康であり、(4)「反社会的」でない、と政権にみなされた人々だけだったという。「ドイツ人への包摂と、そこに当てはまらない人への排除は表裏一体だった。一面のみを切り離して『良いこと』とは言えない」と田野さん。

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 <歴史を学ぶ意味> では、少なくない人々が、ナチスを「良いこともした」と評価しようとする理由は何なのか。

 当時のドイツ人がナチスを支持したのだから、悪いことばかりしていたはずがない――。そういった疑問を抱くうちに、「『支持されたこと』と『良いこと』を同一視する人も多いのでは」と田野さんは分析する。また、「今日の視点から過去を裁いてはいけない」として、ナチスを擁護する意見も目立つという。

 小野寺さんは、歴史学が積み重ねてきた歴史解釈の議論の重要性にも触れる。これを無視すると「断片的な史料をつまんで、自分に都合のよい恣意(しい)的な意見を述べてしまう危険性がある」。「歴史は、自分の思いに合わせていかようにも使える『フリー素材』のようなものではない」

 ただ一方で、小野寺さんは「最初から『ナチスは悪いことしかしていなかった』と断定して、思考停止することもよくない」とも語る。

 日本でも戦争経験者が少なくなる中、戦争の過去がリアルな出来事として捉えられなくなってきている、と感じる。「先立って『良いこと』『悪いこと』という結論を決めて、学ぶことを拒否するのは、悲惨な出来事があったことを無視するのに等しい。議論をやめずに考えていこう、と研究者が粘り強く言っていくことが大事だ」(平賀拓史)

 

 ■「良いこと」と指摘されることがあるナチスの政策と、その実態

 【「良いこと」】→<実態>

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 【アウトバーン建設などの公共事業で雇用を増やし、景気を回復させた】→<雇用創出の効果はわずか。景気回復の原因は軍需産業の急拡大によるもので、破局のリスクと表裏一体だった>

 【大衆向け自動車の開発、格安旅行の提供など国民に手厚い福利厚生をもたらした】→<軍需拡大を優先した結果、約束倒れに。ユダヤ人や政治的敵対者、障害者などはそもそも対象から除外>

 【禁煙やがん撲滅といった健康政策を推進した】→<禁酒禁煙政策は徹底されず。一方、アルコール中毒とみなされた人々は「ドイツ民族の遺伝子を損傷する」として断種された>

 (「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」から)