「キャスターという仕事」(国谷裕子著)

国谷さんはNHKの「クローズアップ現代」のキャスターを23年間勤めました。

テレビ放送でビデオ映像は人間の頭に強烈な残像を映し全てを支配し、思考停止にさせます。そのため、伝えるべきそれ以外の重要なメッセージは情報として受け取れません。国谷さんはそのメッセージを言語で正しく伝えようとします。彼女の言葉に対する思い入れの深さに感動しました。

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 岩波新書 1636


以下気になったところ抜粋しました。

 

1.キャスターとはなにか

1962年TBSニューススコープ 田英夫共同通信記者 (英語でanchor)

1975年度日本記者クラブ賞受賞 古谷綱正 元新聞記者

1974年NHKニュースセンター9磯村尚徳 記者出身

1985年ニュースステーション 久米宏 元TBSアナ

アナウンサーのように原稿を正確に読み伝えるのでなく、放送局という送り手と視聴者という受け手の間のパイプ役を強く意識し話し言葉によって伝達する。ニュースという客観性の高い世界に個性や私見を持ち込むことになる。

クローズアップ現代」の構成

放送時間29分から26分へ

・短い映像とコメントによるテーマ紹介

・キャスターによる前説というコメント

・VTRリポート1

・スタジオゲストとキャスターによる対談ゲストトーク

・VTRリポート2

・再びゲストトークで番組の締めくくり

 

VTRリポート、スタジオゲスト、キャスターという三角形を中心に番組構成。

目に見えることを現場でVTRに収め、ゲストの見識で立体的に見せ、キャスターが視聴者の立場や時には同じ専門家でも異なる見解をもつ人の意見をぶつけテーマの持つ多様性要素、テーマの深さを表現しようとした。

ゲストトークやキャスターコメントを重視し言葉を大切にする番組という狙いが構成に込められていた。

時代感覚を言葉にする力(コメント力)とゲストに向き合える力(インタビュー力、聞く力)を研ぎ澄ますことがキャスターの仕事だとわかってきた。

 

2.4つのキャスターの役割

(1)キャスターの役割 視聴者と取材者の橋渡し役

最初に抱いた疑問を大事にしようと思った。

放送に向けての様々な議論の中で恥ずかしくなく疑問を口に出せるようになった。

最初に浮かんだ疑問を制作担当者やゲストにぶつけることでできる限り視聴者の目線に近いところにたち続ける。わからないことは番組で話せないという気持ちと姿勢が私の中で育っていった。

何も知らないで番組に臨むというのが視聴者の目線だと思う方がいたがそれは違う。

視聴者目線でありながら複雑なことをより深く俯瞰してみるキャスターは素人であってはいけない。専門分野の人が見ても的確に問題を押さえていると思ってもらいたいそういう番組でありたいと思っている。

この橋渡しは言葉で行われる。 映像が直接的に視聴者の感覚に飛び込むのに対してキャスターはあくまで言葉を媒介にして視聴者に向き合うことになる。

 

(2)キャスターの役割 自分の言葉で伝える

自分自身が納得した言葉で伝える。

熱のようなものを視聴者に実感してもらう。

(3)キャスターの役割 言葉探し

現代社会の複雑な断面を取り上げるクローズアップ現代のキャスターにとって社会の中で起きている新しい出来事を新しい言葉により定義し使用し、慣れた言葉に新しい意味を与えることで多様化している視聴者に共通の認識の場を提供していくことは重要で大切な役割だ。

例 犯罪被害者、ウーマノミクス

 

(4)キャスターの役割 インタビュー

発言そのものがニュースになる魅力的な人や専門家から飛び出す宝石のような表現、公の場で見せない表情、ちょっとした会話の中で浮き上がる意外な人物像もインタビューの魅力

 

3.インタビューの仕事

経済学者の内田義彦さんに「聞くと聴く」というエッセイ『生きること学ぶこと』がある。肝要なのは聞こえてくるように聴くこと。耳をそばだてて、あるいはチェックポイントをおいて聴かなければ人の言うことは聞こえてこない。が、しかし下手に聴にこだわると、聴いても聞こえない。いや聴けば聴くほど聞くことから遠ざかるこちらが仕掛けたチェックポイントに関するかぎりのことは理解されるけれど存在としての対象は遠のいてしまう。聴に徹しながら聞こえてくるのを待つ。大切なのは聞こえてくるように聴くこと。インタビューの聞く力には観察力と想像力が求められている。(学生時代に内田義彦さんの「資本論の世界」を読んでなんて説得力のある本かと思いました)

 

4.フェアなインタビュー

私はインタビューにおいても番組の関わり方においてもフェアーであることを信条としてきた。それは視聴者に対してフェアーであること、また視聴者から見てもフェアーであること。具体的にはわかりやすくするために、ある点を強調するために、ある部分を隠すとか触れないとかしない。知り得たことは隠さない。市庁舎には判断材料は全て示す。そのうえで視聴者が同じ様に怒り共感してくれることを期待する。

2013年11月就任した初の女性大使キャロライン・ケネディ大使へのインタビュー

12月の安倍総理大臣の靖国神社参拝や歴史認識を巡る日韓関係の冷え込みが日米関係に影を落とし始めていた。在日アメリカ大使館は安倍総理靖国神社参拝に対して失望するというコメントを出していた。歴史認識についてはNHKの会長や経営委員の発言に対してもアメリカ側から批判の声が出ていた。2014年3月6日放送『日米関係はどこへ~ケネディ駐日大使に聞く』でのインタビューで日米関係の状況、安倍政権への評価・・質問した。質問の中NHKの経営トップの発言のことに触れた。フェアーなインタビューだと思ったからだ。 

2014年7月3日『集団的自衛権 菅官房長官に問う』閣議決定憲法解釈の変更を行い、集団自衛権の部分的行使を可能にしたことについてインタビューした。安全保障に関わる大きなテーマだったが、与えられた時間は長くなかった。私はこの憲法解釈の変更漠然とした不安が広がっている世論の流れを強く意識していた。視聴者は今政府に何を一番聞いてほしいか。その思いを背に私は何にこだわるべきか考えた。私のインタビューは様々なメディアで首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされた。まだまだ「聞くべきことはきちんと聞く、繰り返し聞く」ことには様々な困難が伴うのだろうか。

 

5.失った信頼

2014年5月14日『出家詐欺報道について』使用したVTRについて、NHKが設置した調査委員会によって「視聴者の期待に反する取材・制作が行われた」と結論づけられ、「重大な放送倫理違反があった」と最終的に判断された。出家すれば戸籍の名前を変更することが出来ることを悪用し、多重債務者を別人に仕立てて、住宅ローンを騙し取るなど宗教活動を実質的に休止している宗教法人を舞台に詐欺事件の実態を明らかにしてその対策等を考えるものだった。そのVTRの中に隠し撮り風の撮影方法、過剰な演出や視聴者誤解を与える編集が番組の狙いを強調するあまり事実を歪曲したものとしてとらえられてしまった。

 

6.二人のゲスト

日本社会の激しい変化 

1994年3月「さらば東京~不況で増えるIターン志願」「ホワイトカラーの合理化が始まった~組織改革最前線」、「半値で生き残れ~これがスーパーの生き残り戦略だ」特に心が痛んだのが、1月「零細経営者は何故死を選んだのか~丹後ちりめんの里」スタートしてすぐ暗い時代に踏み込んだ日本社会に真正面から向き合うことになった。終身雇用、年功序列など日本型企業経営が成長してきたものが急激に変化してしまって本当に良いか。大型倒産、信用組合解散、厚生年金から脱退する中小企業、消える商店街就職先決まらない学生たち、こうしたバブル崩壊後の痛みを取り上げる番組のゲストとして登場したのが経済評論家の内橋克人さん。1996年12月5日「負債は誰が負うのか~急増・第三セクターの破綻」大量の不良債権、資金運用の悪化などによる企業の体力の低下、負のスパイラルに陥った日本社会を全国の地場産業を歩いた経験から、何が深いところで失われようとしているか内橋さんは鋭く考察した。

一方、翌日の12月6日「格安運賃は可能か~相次ぐ航空会社設立」ゲスト竹中平蔵さん。以降「個人資産1200兆円を狙え」、「格付けはこうして行われる」、「脱接待 日本の社会は変わるか」、「外国金融商品とどうつきあうか~問われる投資家保護」グローバル化、自由化、金融資本主義が経済の牽引役として影響力を強めていく中で、強い市場の圧力に日本企業は退場を迫られるかもしれないというプレッシャーもあり、海外ルール、グローバルスタンダードを素早く取り込むことこそ生き残り策との主張をする旗手が竹中さん。この二人のゲストが連続して登場したことは当時の社会の二つの流れを象徴するものだった。失って良いものと失ってはいけないもの。どんな影響を個人や社会がにもたらすか。ゆっくり考えながら進むことが許されない空気が充満していた。その後、1999年4月「退職金・企業年金が危ない~国際会計基準 企業の苦悩」を最後に竹中さんは2年後小泉内閣の経済財政政策担当大臣入閣。

一方、内橋さんは雇用をテーマにした2001年10月「さらば正社員 主役はパート」2002年1月「急増 一日契約で働く若者たち」、2002年5月「会社の中で独立します~広がる個人事業主」、2002年12月「高速を走る過労トラック」に出演している。雇用状況は賃金が下がっていくだけでなく、人件費はいつの間にか調整可能なコストへと変わっていった。厳しい競争の中で安く効率よく作れる場所で生産を競い合う企業。こうした中で地域経済の衰退が加速していった。多くの人々が不安定で細切れの仕事に向き合う姿を目のあたりにして内橋さんが繰り返し口にしたのが「ディーセント・ワーク」という言葉だった。ディーセントワークとは「権利が保護され、十分な収入を生み、適切な社会保護が供与された生産的仕事」(第87回ILO総会(1999年)事務局長報告 DECENT WORK 日本語訳)という意味で、1999年のILO総会で初めて用いられた言葉。いきがいのある仕事、尊厳のある労働。その大切さを熱っぽく語り、人にとって働くいみとは何かを問い続けた。キャスターをしていて日本社会で何が一番変化したかと感じているかとわれると雇用が一番変化していると答えるのが多かった。1996年、1999年、2004年法改正で一気に派遣労働者が急増した。

 

7.暗いつぶやき

2003年6月「農村についてチャンスあり~増える女性の起業」地方の活性化をテーマにした番組のゲスト研究者が「地方の暗いつぶやき」という言葉を使った。

地方自治体財政が苦しくなり、地方経済も各地で活力を失い、商店街がシャッター通りになったり、高齢化が進む中で住民が求める行政サービスの持続ができなくなった事態を見つめてきた。地元自治体が住民に情報公開し話し合い合意形成を進める。人材も資金も足りない地域に耳を傾けると聞こえてくるのは人々の「暗いつぶやき」。

お金が地域で回らないことの解決策として生まれた地域通貨。地元の女性たちによるお焼きビジネス化。ジャーナリズムの機能は第一義的には権力の監視機能だろうが、社会的弱者に対する感受性、想像力を発揮し、社会全体がその痛みを共有するよう弱い立場に置かれた人々が抱える問題を幅広く伝えることも重要な役割だ。

 

Youtube   https://youtu.be/L1lSEs3dIb4

                

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