新聞記事 (異論のススメ スペシャル)航海士なき世界で 佐伯啓思 朝日新聞 9/25/2025
抜粋
今日、グローバリズムはほぼ信頼を失っている。そのことは欧米をみれば一目瞭然である。それでは、グローバリズムとは何であったのだろうか。
人、モノ、資本、情報、技術の国境を越えた移動を一気に高めるというグローバリズム(地球一体化)は、米国を中心とする冷戦後の世界標準となった。その柱は何かといえば、次の二つである。
一つは、米国流の「リベラルな価値」の世界化である。列挙すれば、個人の自由、民主的な政府、法の支配による世界秩序、合理主義や科学的思考、人種・ジェンダーの多様性、移民受け入れ、市場競争による効率性など。この普遍的な価値観で世界を画一化し、世界秩序を生み出す思想である。
もう一つは、先端的な科学技術のイノベーションと自由競争による経済成長追求であり、それによって世界中の富を拡張できるという信念である。
そしてこの両者ともに行き詰まってしまった。こういう意識がトランプ大統領を誕生させたのだ。
今日のグローバリズムが、激しい競争主義や効率主義や拡張主義によって、われわれの社会秩序や落ち着いた生活を動揺させていることは間違いない。そこで「反グローバリズム」と呼ぼうと呼ぶまいと、グローバリズムの圧力から社会の基盤を守り、日本の文化を支える価値観を守ることは、次の時代へと向かうための不可欠な準備であることは間違いなかろう。
本文
いま、人々は政治に何を期待しているのだろうか。あるいは、何を期待できるのだろうか。近々自民党の総裁選が行われるが、自民党に人々は何を求めているのだろうか。いや自民党だけではない。野党も含めてのことである。
先日の参議院選挙では、もっぱら消費税減税か現金給付かが争点となった。昨年の総選挙ではパーティー券に端を発する「政治とカネ」が争点であった。この二つの「カネ」によって、与野党勢力は逆転し、日本の政治は大きな転換を迎えることとなった。
つまり、消費税減税や給付金、「政治とカネ」こそが、今日、日本国民にとって、政治の方向を左右する死活問題だということになる。確かに、「政治は庶民のものとなった」ともいいうるが、ここまで「庶民のもの」となってもよいのだろうか。
この背後には、昨今のインフレや経済格差、財政問題、少子化問題などがあるが、これらに対して即効性のある政策などない。まったく手詰まり状態なのである。
とすれば、いったい、なぜこれほどの経済不安や格差、トランプ関税、膨張する財政など、容易には解決できない問題が生じたのか、そのことだけでも検討しておく必要はあるのでなかろうか。
しかしこの事態を前にして、各政党は、ますます戦略を縮小し、それぞれ「得意分野」に特化し、こぢんまりとした政策を持ち出す。「103万円の壁」に特化した政党もでてくる。国民の方も、もっぱら「懐具合」にしか関心をもたないので、各政党もまた、いかに「カネ」を引き出すかに注力する。自民党もそれに対応する。かくて、いますぐにでも実行可能な「カネ」の具体的配分こそが日本の政治の中心になった。
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ところで、今回の参議院選挙で目立ったのは、いうまでもなく参政党の大躍進であった。これは面白い現象だ。なぜなら今回の選挙において、参政党だけがきわめて大きな政治テーマを掲げていたからである。
この党の基本的立場は「反グローバリズム」であり、日本の諸問題は「グローバリズム」からきていると主張する。「日本人ファースト」も「反グローバリズム」の言い換えである。
今後、この政党が一大勢力となるのか、一時的ブームで減速するのかは予測がつかない。「反グローバリズム」も具体的な政策となれば、参政党の政治手腕も本格的に試されることになる。
それはともかく、今回の参政党の躍進が、「反グローバリズム」の旗印によって一定の支持を集めたことは疑いえない。そこには単なる情緒的な「外人ぎらい」や排外主義もあるにせよ、それを極右や差別主義者などという、やはり情緒的なラベル貼りで済ませてはならない。「グローバリズム」そのものが大きな問題なのである。
そのことを、各政党、とりわけ自民党は強く自覚すべきであろう。「グローバリズム」の名のもとで何が生じているのか。そのことを抜きに、各党とも先へは進めないはずである。
とりわけ自民党にとってそれが決定的な意味をもつのは、参政党の支持層のかなりの部分が、もともと自民党の保守層だったからだ。「グローバリズム」に対する自民党のスタンスがまったく明確になっていないのである。
今日、グローバリズムはほぼ信頼を失っている。そのことは欧米をみれば一目瞭然である。それでは、グローバリズムとは何であったのだろうか。
人、モノ、資本、情報、技術の国境を越えた移動を一気に高めるというグローバリズム(地球一体化)は、米国を中心とする冷戦後の世界標準となった。その柱は何かといえば、次の二つである。
一つは、米国流の「リベラルな価値」の世界化である。列挙すれば、個人の自由、民主的な政府、法の支配による世界秩序、合理主義や科学的思考、人種・ジェンダーの多様性、移民受け入れ、市場競争による効率性など。この普遍的な価値観で世界を画一化し、世界秩序を生み出す思想である。
もう一つは、先端的な科学技術のイノベーションと自由競争による経済成長追求であり、それによって世界中の富を拡張できるという信念である。
そしてこの両者ともに行き詰まってしまった。こういう意識がトランプ大統領を誕生させたのだ。
まず「リベラルな価値」からいえば、とりわけ民主党系のリベラルな政治家、官僚、ジャーナリズム、有名大学の学者、各種の専門家などの「上層の知的エリート」が進めてきたグローバル政策が、結局、米国社会の格差を生み、社会不安を作り出し、米国の経済力の低下を招いた、という意識が強い。つまり、「リベラル派のエリート」に対する大衆の不満と不信が膨れ上がった。
その結果、米国では、反エリート主義、反エスタブリッシュメントの心情が拡散していった。それが、既存の政治スタイルや既存のメディア、ハーバードのような伝統的大学といった権威に対する反感を募らせていった。その受け皿がトランプ氏であった。
一方、イノベーションと経済成長主義も今や十分な成果を上げられない。グローバル競争は国家間対立をもたらし、イノベーションは、膨大な研究開発費や資金を必要とし、しかもそれが一部の投資家へと富を集中させる。本当に国民の生活につながるという見通しはまったくない。冷戦以降の先進国の経済成長率は確実に低下しているのである。
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これが、米国を中心にした今日のグローバリズムの素描である。そこに米中対立やら欧州の右派の台頭など不安的要因はいくらでも付け加えることができる。
その中で、米国はどこへ向かっているのか。グローバリズムを超える何かをトランプ政権は準備しているのだろうか。そうは思えない。それは信頼できる航海士を失ったさまよえる巨船のように世界を混乱させている。
トランプ政権は、一方では、反自由貿易や関税引き上げによって、米国の製造業とラストベルトの労働者を救済しようとする。しかし他方では、シリコンバレーの投資家や実業家との連携を深め、IT、AI(人工知能)系の技術に多大の支援を与えようとする。
イーロン・マスク氏との関係はたたれたようであるが、投資家ピーター・ティール氏のようないわゆる「テクノ・リバタリアン(徹底した技術的自由主義)」や「テクノ・ライト(技術的右派)」との関係はきわめて親密である。
彼らは、もはやグローバリズムは限界だという。地球上に巨大な利益をあげるフロンティアはなくなるだろう。では次のフロンティアはどこかといえば宇宙だという。そこで次のフロンティア開発のためには、巨額の資金を投じて迅速に先端技術開発を実行せよ。なぜならそれを実行できる国家こそが次の時代の覇権を握るからだという。そのためには、非効率的なリベラル政策や官僚行政や大学は邪魔なのである。効率性と迅速性だけがすべてなのだ。
かくてトランプ氏は、弱体化した米国製造業の再建という保護主義に片足をおき、もう片足を、徹底した技術革新による新自由主義においている。この両者を合わせて米国を再び偉大にする、というのが「アメリカ・ファースト」であって、それは決して米国を「世界」から撤退させるなどということではない。
つまり米国は、一方で保護主義に依拠した「反グローバリズム」につくとともに、他方では高度な技術革新による覇権を目指す「超グローバリズム」というべき方向をも向いている。
これが、おおよそ今日の世界状況であり、確かにまったく先の見えない濃霧の中を航行しているようなものであろう。
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そのことを前提にすれば、日本はいかなる方向へかじを切ればよいのだろうか。これは大変に難しい課題である。
自民党には、日米同盟のもとで経済成長と福祉を両立させる伝統的な保守勢力と、小泉構造改革以来の新自由主義的・改革主義的勢力が混在している。そしていずれも、自らの展望を切り開くことができない。これは野党も同じだ。
参政党の神谷宗幣代表は、自分は昔の自民党に共感をおぼえると述べているが、「昔の自民党」が機能したのは、まだ世界秩序が比較的安定していた時代の話である。では日本は、米国流の徹底したイノベーション競争につくのか、あるいは、国内重視のゆるやかな保護主義にたつのか。あるいは、また別の「日本流のポスト・グローバリズム」を模索するのか。
今日のグローバリズムが、激しい競争主義や効率主義や拡張主義によって、われわれの社会秩序や落ち着いた生活を動揺させていることは間違いない。そこで「反グローバリズム」と呼ぼうと呼ぶまいと、グローバリズムの圧力から社会の基盤を守り、日本の文化を支える価値観を守ることは、次の時代へと向かうための不可欠な準備であることは間違いなかろう。
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さえきけいし 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「神なき時代の『終末論』」「さらば、欲望」など。
◇佐伯さんの「異論のススメ スペシャル」は随時、掲載します。