(耕論)未来が読みたくて 尾上正人さん、桜井英治さん、朱戸アオさん
抜粋
尾上正人さん(社会学者)
今が昔と違うのは、社会科学に理系的発想が大きく入ってきていることです。ターチン氏は進化生物学から歴史学の領域に入りましたが、他にも物理学や数学領域の研究者らが数理モデルやデータ解析によって社会科学分野の研究を行うのが大きな流れになりつつあります。彼らは割と自然に、法則科学を受け入れているように見えます。
桜井英治さん(歴史学者)
「変化」の捉え方には、大きく二つの考えがあります。一つは「歴史は繰り返す」という循環的、反復的な歴史観。もう一つは「一度起きたことは二度と繰り返さない」という一回的、一方通行的な歴史観です。
当面は、数年から数十年程度の変化を説明できる「中期理論」が主役を務める時代が続くでしょう。特に経済史や環境史では、統計学の進展がすでに大きな役割を果たしていますし、今後はAI(人工知能)によって未来を予測する精度がさらに高まるはずです。
ただ、いずれにしても、歴史は自然科学の法則とは異なり、人間の意思や主体性によって大きく動くもの。マルクス自身も、彼の理論に従って人々が未来を能動的に作り出すことを期待していました。米トランプ政権の政策やロシアのウクライナ侵攻など、予想を超える出来事が次々と起こる政治史で、法則性を見いだすのは極めて困難です。
本文
歴史は繰り返さないが韻を踏むという警句がある。一方で歴史に法則性はないという考え方も。視界不良なこの時代、来し方に教訓を求めて先行きを読もうとするのはできない相談か。
■法則科学を背景に「物語」 尾上正人さん(社会学者)
2020年代の米国は政治的不安定さがピークを迎える――。15年前、「歴史動力学」を提唱する米国の学者ピーター・ターチン氏が予想しました。その後実際に連邦議会議事堂襲撃やトランプ氏暗殺未遂の事件が起きたことで、ちょっとした注目を浴びました。
エリートが「過剰生産」される、つまり増えすぎると、エリート間競争の敗者が貧困化した大衆を動員し、政治的な混乱や暴力が起きやすくなる――。米国の南北戦争や中国の太平天国の乱を例に挙げて、そう説いています。数理モデルを用いて、長い時の流れの中に、安定期と不安定期が交互に訪れる大まかな周期性を見いだす。つまり、一種の歴史の法則性を主張しているのが特徴です。
社会学には100年ほど前から「地位の非一貫性」に着目した同種の理論が存在していました。学歴と所得と職業などの地位の高低が一貫しない人は、リベラルや革命的な傾向を持つという学説です。米国で1950~60年代に花盛りを迎えましたが、分析による裏付けがうまくいかずに70年代に尻すぼみになり、90年代ごろを境にしばらく消えていました。ターチン氏の登場によって20~30年ぶりに光が当たった形です。
人文社会系の学問は長らく法則性の解明から遠ざかってきました。「人々が補助線を求めるから、法則があるように見える」との考え方で、一部の関心はその線の引かれ方に潜む政治性や階級性に向かいました。一元的な説明図式を否定するポストモダンの考え方や、発展史観を掲げたマルクス主義の退潮の影響もあったと思います。ターチン氏の学説にも評価の一方、懐疑的な見方もあります。
今が昔と違うのは、社会科学に理系的発想が大きく入ってきていることです。ターチン氏は進化生物学から歴史学の領域に入りましたが、他にも物理学や数学領域の研究者らが数理モデルやデータ解析によって社会科学分野の研究を行うのが大きな流れになりつつあります。彼らは割と自然に、法則科学を受け入れているように見えます。
既存の価値観が崩れ去って世の中が混沌(こんとん)とする中、なぜこうなっているのか腹落ちする説明を聞きたいという欲求は世の中に一定程度あるはずです。かつてサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」などが読まれたのもそんな心性の表れです。私もそういう「大きな物語」を示すことには意義があると考えています。(聞き手・各務滋)
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おのうえまさと 1967年生まれ。奈良大学社会学部教授。専門は産業社会学、社会生物学。共著に「遺伝子社会学の試み」「モビリティ社会への展望」。
■歴史、人の意思で動くもの 桜井英治さん(歴史学者)
歴史学には探偵の金田一耕助に似たところがあります。謎解きは見事でも、事件を未然には防げない。過去を説明するのには長(た)けていても、未来を読むことは意外に苦手なのです。
歴史家の本分はあくまで、変化のメカニズムを解明すること。ただ、それを部分的に未来予測に活用できることはあり得ます。
「変化」の捉え方には、大きく二つの考えがあります。一つは「歴史は繰り返す」という循環的、反復的な歴史観。もう一つは「一度起きたことは二度と繰り返さない」という一回的、一方通行的な歴史観です。
歴史に法則性がある、という思想は主に前者の循環史観に基づきます。例えば経済学では景気循環の周期変動が理論化されてきました。気候変動と飢饉(ききん)、農業技術の発展にも一定程度の相関性が見られます。ただ一回的歴史観の方にも、歴史法則にかかわる有名な理論があります。人類史を原始共同体から共産主義社会に至る発展段階論で説いたマルクスの唯物史観です。
マルクス主義歴史学は実証的研究の深化によって史実に合わない面が目立ち始め、1970年代以降に下火になります。例えば日本中世史でも、封建制の指標の「土地に緊縛された農民」は一般的でなく、多くは移動の自由を持っていたことが明らかになっています。とはいえ発展段階論的な見方が完全に不要になったわけではありません。歴史教科書の章立ても私たちの時代区分の思考も、暗黙裏にそれを前提にしています。
当面は、数年から数十年程度の変化を説明できる「中期理論」が主役を務める時代が続くでしょう。特に経済史や環境史では、統計学の進展がすでに大きな役割を果たしていますし、今後はAI(人工知能)によって未来を予測する精度がさらに高まるはずです。
ただ、いずれにしても、歴史は自然科学の法則とは異なり、人間の意思や主体性によって大きく動くもの。マルクス自身も、彼の理論に従って人々が未来を能動的に作り出すことを期待していました。米トランプ政権の政策やロシアのウクライナ侵攻など、予想を超える出来事が次々と起こる政治史で、法則性を見いだすのは極めて困難です。
でも、すでに誰もが知っている未来もあります。温暖化、人口減少、南海トラフ地震、財政赤字の拡大……。歴史家の出番を待つまでもなく、対策を立てて未来を設計するのに、十分すぎる情報でしょう。(聞き手・石川智也)
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さくらいえいじ 1961年生まれ。東京大学大学院教授。専門は日本中世史。著書に「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」「交換・権力・文化」など。
■作品がイメージの助けに 朱戸アオさん(漫画家)
新型ペストの感染爆発が起きて封鎖された地方都市で、医師らが絶望的な闘いに挑む。そんな漫画「リウーを待ちながら」を2017~18年に描きました。
もし日本で感染爆発が起きたらどうなるのか。防衛省の関係機関を実際に訪ねるなどして、勉強しました。作中には防護服や疫学研究者が登場し、「濃厚接触」「緊急事態宣言」といった言葉が飛び交います。
連載中には正直あまり話題になることはなかったのですが、20年にコロナ禍が広がったことで突然注目されました。「コロナ禍を予見した作品」と言われたのです。読者がリアルだと感じたのは、実際の対策を考えている人たちに話を聞いて作ったからでしょう。
コロナ期に読んだ感想で多かったのは、「感染爆発にはいつか終わりが来るのだと実感できて良かった」という声でした。作品には感染爆発の始まりから終わりまでが描かれていたので、未来をイメージできた気がしたようです。
災厄など理不尽な事態に見舞われたとき人間はどう反応するのか。朱戸アオさん(漫画家)
興味を引かれ創作しました。社会はどう崩れ、人間はどう思うのか。作品からそのイメージをつかめたことで、「こうすればいいのでは」と考えやすくなった。そんな読まれ方もしたようです。
歴史を調べていくと、興味深い繰り返しに出会うことがあります。たとえば水源汚染への恐れです。日本でも外国でも、人間は水源に病原や毒を入れられることを繰り返し恐れていて、意識の中に住む「敵」がそれを実行するかもしれないと何度もおびえてきた。
自分だけは助かりたいという願いに突き動かされ、「病気や毒はヨソモノが運んでくる」と考えてしまう。そんな人間像が浮かんできますが、私はそれを愚かだと断罪しようとは思いません。歴史の知識は自分たちを知るために使うものだと思っているからです。
たとえば聖書は2千年前の本であるうえに私はクリスチャンではないけれど、読んでいくと、わかるなと思える部分があります。
人間は肉体と感情に支配される存在で、そこから自由にはなれません。肉体は100年、千年前と比べても大きくは変わらず、同じような感情に縛られてもきた。私たちが過去を参照することで未来をイメージできるのは、そのせいだと思います。予知することとは違うけれど、歴史との意味ある向き合い方です。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
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あかとアオ 1981年生まれ。2004年に漫画家デビュー。「リウーを待ちながら」のほか、「インハンド」「ダーウィンクラブ」など。