新聞記事(百年 未来への歴史)デモクラシーと戦争:6 歴史を物語るということ
朝日新聞 1/6/2025
抜粋
明治期の日本を描いた司馬遼太郎(1923~96)の「坂の上の雲」は発行部数2千万部を超すベストセラーになった。
にもかかわらず、司馬は生前この小説の映像化を断っていたという。
司馬自身は生前、この作品について「なるべく映画とかテレビとか視覚的なものに翻訳されたくない作品でもある。うかつに翻訳するとミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがある。その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いた」と、著書「『昭和』という国家」で明かしている。
「書きたかったのは、封建制が終わって自分は何者にでもなれるという明治の若者の気分だったと聞いた」と言う。その若者代表が主人公の一人で俳人の正岡子規であり、「小説では子規の明るさ、明治の明るさをとった」。ただ、「重税や兵役が課された時代でもあり、明治が『暗い時代』でもあることは司馬もわかっていた」とも話す。
歴史を物語る難しさも司馬は感じていた。作家の故・諸井薫は「経営者やビジネスマンが、私の書いたものを、朝礼の訓示に安直に使うような読み方をされるのはまことに辛(つら)い」と司馬が言っていたと、「文芸春秋」の司馬追悼号の中で明かした。
司馬は、「誤解」の先の何を恐れていたのか。
「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)は、「日露戦争の勝利にフォーカスされすぎると、司馬が『坂の上の雲』で書いた昭和の軍部の問題がかき消されてしまう」と指摘する。
「冷戦が終わり、国家の存在感がだんだんと失われつつあるなかで、国民は何を信じればいいか分からなくなっている」。歴史学者の藤原辰史・京都大准教授はそう話す。その状態で分かりやすく、心を震わす過去が語られると、物語は劇薬となるという。
藤原准教授は、歴史語りの中立神話を解体すべきだという。丁寧に史料と向き合う実証主義は重要だ。しかし、「中立的に歴史を述べることなどできない。むしろ自分は中立と信じる人ほど危ない」と話す。
そうではなく、自分の歴史語りにはバイアスがかかっていると認識したうえで、他人の語りにも耳を傾ける。偏りがあると互いに認めることが、冷静に「確からしい」歴史を探る知的態度につながる。
ここで藤原さんは「確からしい」という言葉を使う。歴史語りに「確か」なものなどない。ましてや絶対的に正しい、唯一の物語などない。確からしい記憶がいくつもあり、自由に語り合い、少しずつ「より確からしい」歴史を見つけていく。その積み重ねが、歴史を修正しようとする悪意を見破り、記憶の紛争も減らしていくと、藤原さんは考える。
本文
明治期の日本を描いた司馬遼太郎(1923~96)の「坂の上の雲」は発行部数2千万部を超すベストセラーになった。
にもかかわらず、司馬は生前この小説の映像化を断っていたという。幕末を描いた「花神」「燃えよ剣」など、他の作品とは異なる対応だった。
作品のハイライトは日露戦争だ。司馬は、明治政府が創設した陸海軍を「人口5千ほどの村が一流のプロ野球団をもとうとするようなもの」と表現した。そんな日本海軍が、強大なバルチック艦隊に「完全以上の勝利」を収めて物語は終わる。
小説が書かれたのは、1970年前後の高度成長期。再び「坂の上」をめざす人々を元気づける英雄物語として、あるいは昭和の敗戦とは異なる明治の叙事詩として、あるいは会社組織の中でのふるまいを考えるビジネス読本として読まれた。
「小説の連載中から、テレビ局や映画会社から映像化の提案が続々あった。他作品は演出にもこだわらなかった司馬が、『坂の上の雲』は全部断っていた」。司馬の義弟で、司馬遼太郎記念財団理事長の上村洋行さんはそう振り返る。なぜだったのか。「司馬は『誤解』されることを懸念していた。単なる戦争ドラマにされると」
司馬自身は生前、この作品について「なるべく映画とかテレビとか視覚的なものに翻訳されたくない作品でもある。うかつに翻訳するとミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがある。その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いた」と、著書「『昭和』という国家」で明かしている。
上村さんは司馬から、「書きたかったのは、封建制が終わって自分は何者にでもなれるという明治の若者の気分だったと聞いた」と言う。その若者代表が主人公の一人で俳人の正岡子規であり、「小説では子規の明るさ、明治の明るさをとった」。ただ、「重税や兵役が課された時代でもあり、明治が『暗い時代』でもあることは司馬もわかっていた」とも話す。
歴史を物語る難しさも司馬は感じていた。作家の故・諸井薫は「経営者やビジネスマンが、私の書いたものを、朝礼の訓示に安直に使うような読み方をされるのはまことに辛(つら)い」と司馬が言っていたと、「文芸春秋」の司馬追悼号の中で明かした。
司馬は、「誤解」の先の何を恐れていたのか。
「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)は、「日露戦争の勝利にフォーカスされすぎると、司馬が『坂の上の雲』で書いた昭和の軍部の問題がかき消されてしまう」と指摘する。
太平洋戦争中に学徒出陣で戦車兵になった経歴から、司馬には昭和陸軍の非合理性や精神主義、技術軽視への憤りがある。「兵力の逐次投入で大損害を出した日露戦争の二〇三高地の戦いは、太平洋戦争のガダルカナルの戦いを容易に連想させる。割と明示的に昭和との結びつきは書かれている」という。
司馬が他界した翌年の97年には、戦後の歴史教育を自虐史観と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、「日本人としての自信と責任」を持てる教科書の普及を掲げた。日露戦争は祖国防衛戦争であり、近代日本の誇るべき歴史があるということに気づかせてくれた、と「坂の上の雲」や「司馬史観」を高く評価する中心メンバーもいた。
司馬史観とは「定義はないが、強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方」と福間さんはみる。だが、「司馬史観を単純に『日本人の誇り』を喚起するものとするのは、司馬作品の誤読で、司馬が懸念した読まれ方だろう」という。(別宮潤一)
小説「坂の上の雲」は2009年、NHKによって映像化された。司馬遼太郎記念財団が、作者である司馬の死去後、NHKの提案に応じた。
司馬の妻で、映像化発表時に理事長だった故福田みどりさんは当時「私の死後に勝手に映像化されるより、ちゃんとした作品を今作ってもらうことにした」と語った。財団は、戦闘シーンが派手な戦争ドラマにはしないよう伝え、脚本を固めるまで2、3年、NHKと議論したという。
ドラマは09~11年に3部計13話が放送され、視聴率19・6%を記録した回もあった。24年9月から再放送されている。
ドラマをよく見ると、原作にないシーンがあることに気づく。
日清戦争では、朝鮮や中国の住民が日本兵を恐れる様子が描かれ、日本軍の曹長には「このがれきと泥の道はまさに征服者の道」と言わせた。酒を日本兵に奪われた住民が悲嘆する場面もある。NHK関係者によると、史料を考証しながら加えた場面だった。
「日本軍による略奪はなかった、と司馬は書いているじゃないか」と反発する声もNHKには届いたという。NHK関係者は「右からも左からも批判される。難しい作品だった」と語る。
司馬はイデオロギーを「ありもしない絶対を論理と修辞でもって糸巻きのようにグルグル巻きにしたもの」「古新聞よりも無価値」(「『明治』という国家」)と嫌悪していた。
福間良明・立命館大教授は「今の自分たちにとって心地も都合もいいものとして歴史を見れば、ある種の一体感は生まれるだろうが、それは危うい社会でもある。自身のイデオロギーや『正しさ』を揺さぶられる歴史の見方、読書が大切ではないか」と考えている。
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過去の何を物語るか。それは、何を物語らないかということでもある。同じ過去を見ていても、立場や思想によって全く異なる物語になることもある。過去は、価値を巡る対立を生む。この対立が国家レベルで生じると、「記憶の紛争」が生まれる。
「冷戦が終わり、国家の存在感がだんだんと失われつつあるなかで、国民は何を信じればいいか分からなくなっている」。歴史学者の藤原辰史・京都大准教授はそう話す。その状態で分かりやすく、心を震わす過去が語られると、物語は劇薬となるという。
「昔は豊かだった」「私たちこそが犠牲者」。物語は連帯を生む。国民意識が復活する。その結果、国家というよりどころが再び現れると藤原さんは考える。
せっかく手に入れた物語だ。自分たちのアイデンティティーを揺さぶる物語には敵意を向ける。「粗暴な言説でも、この国に生まれて良かったと思わせる物語は、本当に苦しむ人の生を救ってしまう」。記憶の争いは、信仰の争いとなる。
2021年、ロシアのプーチン大統領が論文を発表した。「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」という名で、両者が一つの民族だったと主張した。翌年、ロシアはウクライナへ全面侵攻した。池田嘉郎・東京大教授(ロシア近現代史)は「今回の戦争はプーチン氏の歴史観が前面に出たものだろう」と話す。
ロシアでは100以上の民族が暮らす。ソ連崩壊後は格差が広がり、法の支配もなかなか根付かず、国民はまとまらなかった。そこに現れたのが「我々の偉大な国家ロシア」という歴史観を打ち出すプーチン大統領だった。学校の歴史教育は徹底され、国営メディアはこぞって物語を伝えた。
その歴史観によれば、ロシアの起源は9世紀のルーシという国になる。現在のベラルーシやウクライナも含んだ地域であり、一体性が強調される。ロシア帝国、ソ連と続く歴史のなかに、ウクライナの独自性は存在しない。
一方でウクライナはロシアやモンゴルといった大国に支配されながらも独自性を保ってきたと考える。ルーシの中心はキーウだったことが強調される。21世紀に入り欧州連合(EU)との関係が深まると、国家記憶研究所を設立するなどして、歴史教育に力を入れる。池田さんは「ロシアからすると、欧米側についたウクライナは一体性を壊して自分たちを裏切った敵となる」と話す。
どちらも国家が前面に出てきて、現在を正当化しようと歴史を語る。しかし決定的な違いもあるという。「ウクライナは異なる物語を認める社会に変わってきている」
EU加盟に向けて政府が取り組んできた国内の制度改革の成果に加え、国民の意識変化も進んでいるという。
このことは、今後重要になると池田さんは考える。ウクライナでは、ロシアと戦い独立を守ったという国民神話が生まれている。国民を鼓舞する一方で領土を妥協する休戦となれば、神話の裏切りとなる可能性もある。しかし異論を認める社会であれば、神話を相対化する動きも生まれるはずだ。「ウクライナの公共圏がどれだけ開かれているかが問われる」
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国民をたばねる記憶を国家は作りたがる。例えば中国はアヘン戦争からの約1世紀を「百年の国恥」とし、歴史の屈辱をそそぐという「大義」を持つ。だが権威主義国家だけではない。冷戦後、共産主義というイデオロギーを失った東欧の国々も国民を統合する記憶に目を向けてきた。
日本でも国家による物語が必要と主張した人がいる。政治学者の坂本多加雄(1950~2002)だ。個人が世界の中に自己を位置づけるような物語を必要とするように、国家や国民にもまた物語=「来歴」が必要だと説いた。
「物語は、何かを決断する時に方向性を決めてくれる。そちらの方が人は生きやすくなると坂本は考えた」。河野有理・法政大教授(日本政治思想史)はそう話す。
その坂本に異論を述べたのは、劇作家の山崎正和(1934~2020)だった。保守論客である2人は1997年に月刊誌で歴史教育について対談した。そこで山崎は、国家による歴史語りを批判した。
山崎の意見は明快だった。教育とは、個人の能力を広げる「サービス」のようなもの。国家はなるべく介入すべきではない、という。そして詩人や小説家など多様な存在によって紡がれる歴史物語の意義を語った。物語の一つとして、司馬遼太郎の作品を高く評価した。
しかし、多様な歴史のなかには、史実を意図的に塗り替える歴史修正主義がひそむ。「悪貨は良貨を駆逐する」危険がある。ヨーロッパでは、ホロコーストやジェノサイドを否定することを法律で禁止した。歴史語りの規制ともいえるが、この動きを河野さんは懸念する。「国家による『絶対的に正しい』物語を批判することもできなくなる」
ドイツ政府は、ガザでの戦闘を続けるイスラエル寄りの姿勢を保っている。ショルツ首相は当初、「イスラエルの安全保障はドイツにとって国是(国家の方針)である」と述べた。自分たちが犯したホロコーストによる最大の犠牲者ユダヤ人との連帯は、疑うべきではない正義となる。たとえガザで市民の死傷者数が激増しても、変わらない。
国家には頼らず、歴史修正主義にも注意しながら、私たちはどのように物語を紡げば良いのか。
前出の藤原准教授は、歴史語りの中立神話を解体すべきだという。丁寧に史料と向き合う実証主義は重要だ。しかし、「中立的に歴史を述べることなどできない。むしろ自分は中立と信じる人ほど危ない」と話す。
そうではなく、自分の歴史語りにはバイアスがかかっていると認識したうえで、他人の語りにも耳を傾ける。偏りがあると互いに認めることが、冷静に「確からしい」歴史を探る知的態度につながる。
ここで藤原さんは「確からしい」という言葉を使う。歴史語りに「確か」なものなどない。ましてや絶対的に正しい、唯一の物語などない。確からしい記憶がいくつもあり、自由に語り合い、少しずつ「より確からしい」歴史を見つけていく。その積み重ねが、歴史を修正しようとする悪意を見破り、記憶の紛争も減らしていくと、藤原さんは考える。
百年をたどる歴史の旅もまた、一つの物語である。(田島知樹、別宮潤一)
◇戦後80年にあたる今年、日本と世界はさまざまな難題に直面しています。分岐点に立つとき、破局に至らない道を選ぶためには何を考えればいいのか。人の一生にもあたる歳月の中で、より善き生を私たちは生きられるようになってきたのか。いま直面する問いを、戦前から戦後の1世紀の歴史に重ね、未来へのヒントを探る企画「百年」は今年1年間、随時掲載します。
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