慶應義塾塾歌の言われ




慶應義塾塾歌

(富田正文作詞、信時潔作曲/昭15

1.見よ 風に鳴るわが旗を

  新潮(にいじお)寄するあかつきの

  嵐の中にはためきて

  文化の護りたからかに

  貫き樹てし誇あり

    樹てんかなこの旗を

    強く雄々しく樹てんかな

    ああ わが義塾

    慶應 慶應 慶應

2.往(ゆ)け 涯(かぎり)なきこの道を

  究めていよよ遠くとも

  わが手に執れる炬火(かがりび)は

  叡智(えいち)の光あきらかに

  ゆくて正しく照らすなり

    往かんかなこの道を

    遠く遥(はる)けく往かんかな

    ああ わが義塾

    慶應 慶應 慶應

3.起(た)て 日はめぐる丘の上

  春秋ふかめ揺(ゆる)ぎなき

  学びの城を受け嗣ぎて

  執る筆かざすわが額(ぬか)の

  徽章(しるし)の誉世に布(し)かん

    生きんかなこの丘に

    高く新たに生きんかな

    ああ わが義塾

    慶應 慶應 慶應

 

(引用)

山内慶太さんの「塾歌の謎」は、それに関連するミニレクチャーの一つだった。 富田正文先生は、一番の歌詞を『福翁自伝』「王政維新」の小見出し「上野の戦争」「日本国中ただ慶應義塾のみ」から書いたという。 オランダはナポレオンの欧州兵乱で本国はもとよりインドまで取られて、国旗をあげる場所は世界中で長崎の出島だけになった。 慶應義塾は世の中にいかなる騒動や変乱があっても、日本の洋学のためにはオランダの出島と同様、一日も休業したことがない、洋学の命脈を絶やしたことがないぞよ、この塾のあらんかぎり大日本は世界の文明国だ、と。 「見よ、風に鳴るわが旗を」の「旗」は、この慶應義塾の洋学の旗だったのである